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東京カテドラル聖マリア大聖堂 | 百科事典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東京カテドラル聖マリア大聖堂
St. Mary's Cathedral,Tokyo

目白通り側からの外観
所在地 東京都文京区関口 3-16-15
設計 建築 丹下健三・都市・建築設計研究所
構造 坪井善勝研究室
設備 井上宇一研究室、大滝設備事務所
音響 石井聖光研究室
家具 剣持勇デザイン研究所
施工 大成建設
建築
期間
着工 1963年4月
竣工 1964年12月
面積 敷地面積 1万5098m²
延床面積 3650m²
(地階 1005.5m² 1階 2541.4m²
中2階 71.0m² 中3階32.0m²)
高さ 高さ 39.4m(本体) 61.7m(鐘塔)
長さ 55.5m 幅 40.7m
構造 鉄筋コンクリート造
地下1階 地上1階(中2階・中3階)
外装
仕上
ステンレス・スチールおよび
アルミニューム・サッシ

東京カテドラル聖マリア大聖堂(とうきょうカテドラルせいマリアだいせいどう)は、東京都文京区関口にあるカトリック関口教会1900年創立)の教会堂で、カトリック東京大司教区の司教座聖堂カテドラル)である。

1899年に建てられた最初の聖堂は木造ゴシック様式の建物だったが、1945年東京大空襲で焼失。現在の大聖堂は建築家丹下健三設計で、ドイツケルン教区の支援によって建設され、1964年に落成した。

聖マリア大聖堂という名称は聖堂が「無原罪の聖母(マリア)」に捧げられていることに由来し、教会敷地内には聖母マリア聖女ベルナデッタ無原罪の御宿りを告げたとされる、フランスルルドの泉の洞窟の岩場が再現されている[1]

吉田茂内閣総理大臣葬儀が行われたことでも知られ、設計者の丹下健三自身の葬儀もここで行なわれた。なお、信徒総代は孫の麻生太郎内閣総理大臣である。

目次

概要

建設経緯

東京カテドラル正面

1899年(明治32年)にこの地に最初に建てられたのは、聖母仏語学校の『まい魂塾』の付属聖堂であったが、翌1900年には関口小教会の聖堂となる。それがやがて1920年(大正9年)に東京大司教座聖堂・関口教会(小石川聖マリア教会)へと発展した。1945年に戦災で消失後に、神田教会が仮の司教座聖堂となるものの、関口教会自体は敗戦後の物資不足による経済的理由で長らく再建されないままであった。そこで、日本へのカトリック再布教100年事業の一環としてドイツ・ケルン大司教区の支援を受けながら、カトリック東京大司教区主催による東京カテドラル聖マリア大聖堂のコンペが、1962年(昭和37年)5月締め切りで行なわれた。

前川国男谷口吉郎丹下健三の3名に絞り込んだ指名コンペであり、設計期間は6か月。現代的なものをというケルン側からの要望で設計条件は特になく、宗教行事を執り行う上で必要不可欠なものを備えていさえすればよいとされた[2]。審査員は建築界から吉武泰水今井兼次、杉山英男、教会側からは3名の神父とケルンから派遣された教会建築専門の建築家ウィルヘルム・シュロンブ (Whilhelm Schlombs)があたった。

美術館を連想させるマッシブな四角い立方体の前川案、平面計画は三味線のバチを思わせる銀杏形であったが全体的にはやはり公会堂や音楽堂を連想させる箱型の谷口案に比べ、HPシェルの現代的な構造技術を用いながらも、教会の建物そのものが頂部において十字架型になるという丹下案が異彩を放ち、丹下が一等当選。また、西洋の教会に見られるように街路から直接入堂するのではなく、いったん敷地奥の「ルルドの洞窟」に向かって進み、それから転回するようにして階段を上って本堂に至るという動線の、教会に付属する周辺施設との配置バランスにすぐれた全体計画も高評価の理由であった[3]

建築構造

教会敷地内からの眺め

2枚づつ4種類、合計8枚のRC造のHPシェルを立て掛けるようにして縦使いに用い、頂部でトップライトのための隙間を十字架状に開けながら、によってお互いに支持し合う形で、中心部と端部の5カ所で連結されている。また周縁部を除いて厚さ12cmのシェルの剛性を高める為に、外側に2mピッチで縦横にリブが設けられているほか、底部においては脚部を開かせて建物を崩壊に導く躯体のスラスト荷重に対抗する為の引っ張り材として、頂部中心にある十字状の繋ぎ梁と同様のクロス・タイビームが地下に設けられており、構造力学的に厳密にいえば、HPシェルの構造体としては成立していない。

しかしながら、美学的にはエクステリアにおいて、聖母マリアに捧げられた聖堂にふさわしく、地上に舞い降りた銀色の白鳥が今また空に羽ばたかんとするようなイメージを演出し、またインテリアにおいては、8枚のコンクリート打放しのHPシェル壁面が、視覚的に折り重なり互いに絡み合うようにしてうねりながら、頭頂部の十字架状のトップライトまで緩やかに這い昇ってゆき、視線はそのまま天上に至るかのような上昇感覚を生み出していて成功している。

トップライトが中央に向かって下降傾斜しているという、雨を防ぐ為の屋根の原理に反した構造上の欠陥とステンレス外装の技術上の問題から、竣工後比較的早い時期から雨漏りが見られ、ガラスの上をさらにアクリル板で被うなど、補修工事が度々行なわれた。その後2007年の大改修で、トップライトとステンレス外装を一新する新工法を採用したことにより、雨漏りの問題はほぼ解決された[4]

建築意匠

東京カテドラル内部

上空から俯瞰するの視線を意識した時あらわれる頂部の特徴的な形態は十字架型だが、底部は菱形に開いて広がっており、現実の教会の空間としての使い勝手を損ってはいない。外装は腐食に強いステンレス・スチール仕上げであり、内部床面には化粧大理石が貼られている。構造自体は全く違うものの、官能的な曲線を多用した外観の形状は丹下の同時期の作品である国立代々木競技場との相似がよく指摘されるところである。共に構造家坪井善勝との協働とされているが、設計期間が重なった坪井は代々木に係っきりであり、実際の構造設計は東京大学坪井研究室の担当者であった名須川良平がほぼ一人で行なった[5]

縦使いの2枚のHPシェルの壁面にはさまれたスリット状の側面には無色透明のガラスが嵌められており、外光を取り入れるハイサイドライトとなっている。同様の十字架状のトップライトとともに、コンクリート打放しの壁面に白色の光りをもたらし、近代建築の禁欲的なモノトーンの美学を際立たせているが、数段の階段をはさんでやや高くなっている内陣奥の祭壇部分だけは、ステンドグラスの代わりに大理石を薄くスライスしたものが嵌められていて、イエス受難を象徴する巨大な十字架の後ろから、光背として品格のある重く荘厳な黄金色の光を内部空間に放っている。

コンクリートで打ち出されたままの内壁は禁欲的で静謐な印象を与え、最頂部で40m近くに達する内部空間は伝統的なゴシック教会建築の上昇感覚を表象するとともに、キリスト教の前身である旧約の古代ユダヤ教会幕屋をも同時に偲ばせる造形になっている。残響は7秒(空席時)に達し、典型的な中世ヨーロッパの大聖堂よりも長い。ヨーロッパの典型的な大聖堂のそれに似た音響特性を持つ大空間は日本では珍しいとされ、時おり開催されるオルガンやオラトリオグレゴリオ聖歌などの演奏会では、現代的なコンサートホールでは味わうことができない教会特有の響きを味わうことができる。現在のパイプオルガンは2代目で、2004年に完成し、同年5月に公開された。

構内ではサン・ピエトロ大聖堂ピエタミケランジェロ)の精巧なレプリカや(前述の)フランシスコ・ザビエルの胸像などの収蔵品を観ることができる。

地下に納骨堂および小礼拝堂を持ち、聖堂脇には鉄筋コンクリート製の鐘塔が鋭いフォルムを見せて起立している。聖堂内の一角にはドイツケルンイエズス会から寄贈された聖フランシスコ・ザビエルの「胸像」が展示されているが、正確に言うとこれは聖遺物容器である(聖堂内の別の一角には、寄贈を証する日独併記の文書も掲げられている)。さらに教会の敷地奥の方には、ルルドの洞窟を模った岩場の中に立つ大きな聖マリア像がある。

所在地

〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15

交通

脚注

  1. ^ 仏宣教師ドマンジエル神父により、1911年(明治44年)に建てられた。
  2. ^ 『丹下健三』丹下健三・藤森照信 新建築社 2002年 p.281
  3. ^ 「『東京カテドラル』指名設計競技丹下案にきまる」『建築文化』1962年7月号
  4. ^ 東京カテドラル聖マリア大聖堂 大改修工事
  5. ^ 『丹下健三-時代を映した“多面体の巨人”』日経アーキテクチュア編 日経BP社 2005年 p.164

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

This text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.  最終更新日時: 2010年9月7日