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哲学(てつがく、古希: φιλοσοφία、英: philosophy、独: Philosophie )は、古代ギリシャでは学問一般を意味した[1]。近代における諸科学の分化独立によって、現代では専ら、特定の学問分野を指す。
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古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピア、フィロソフィア)という語は、愛智[2]という意味である。希: philos(愛)+希: sophia(知恵、知、智)が結び合わさったものであるので、元来「philosophia」には「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている[3][4]。「哲学」という訳語は明治時代に西周が用いて一般的に用いられるようになった[5][6]。 (→#語源とその意味)
「philosopia」というのは単に「愛知の学」という意味であって、それだけではまだ何を研究する学問であるかは少しも示されていない[7]。この語では内容が規定されていない[8]のである。哲学以外の学問の場合は一般に、(例えば「経済学」「生物学」などのように)名前を聞いただけでもおおよその内容は察しがつく[9]。ところが哲学の場合は、名前を聞いただけではそれが何を研究する学問なのか内容を理解できない[10]。これは哲学という学問の対象がけっして一定していないことを示しており[11]、哲学はまさにその字義のとおり「知を愛する学」とでもいうほかに仕方ないような特徴を備えている[12]。(→#哲学の対象・主題)
このように対象によってこの学を規定することができないと、「対象を扱う<<方法>>に共通点があり、それによって規定できるのはないか」との期待が生まれることがあるが、そのような期待も裏切られる。哲学には一定の方法があるわけではない[13]。
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古希: φιλοσοφία(philosophia、ピロソピア、フィロソフィア)という語は、愛智[14]という意味である。希: philos(愛)+希: sophia(知恵、知、智)が結び合わさったものであるので、元来「philosophia」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている[15][16]。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって、形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが、名称として確立したのはソクラテスやプラトンが用いるようになってから[17]、とされている。
多くの言語で、この「古希: φιλοσοφία」をそのまま音写した語を採用している。例えば印欧語では羅: philosophia、伊: filosofia、仏: philosophie、独: Philosophie、英: philosophy、露: философияなどである。
日本における「哲學」(希哲の学)という訳語は、明治初期に西周(にしあまね)[注 2]によって作られた表現である[18]と複数の文献で解説されている[19][20]。「哲学」の初出は西周の『百一新論』1874年(明治7年)とされる。北宋の儒学者であった周敦頤の『通書』志学に「士希賢」(士は賢をこいねがう)との文言があり、ここから「希哲学」の語が生まれ、中国西学が<Philosophy>の訳語として転用したものを西は採用し、さらにこれを変形させて(「希」の省略)、「哲学」とした[18][注 3]。
西周は初期明治政府の知的指導者の有力者のひとりであったため、西周の造語はやがて文部省の採用するところとなり、一般に用いられるようになった[21]。尚、西周は様々な哲学用語の訳語も生み出した[注 4]。
「哲」は明らか(明)、事理に明らか、さとし(敏)、知る、ものしり、賢人・知者の意味がある[22]。会意文字で口+折(音符)、折は一刀両断すること[23]。「哲学」という訳語は、現在中国でも使われている。
紀元前の古代ギリシャから現代に至るまでの西洋の哲学を眺めてみるだけでも、そこには一定の対象というものは存在していない[24](他の地域・時代の哲学まで眺めるとなおさらである)。
西洋の哲学を眺めるだけでも、それぞれの時代の哲学は、それぞれ異なった対象を選択し、研究していたのである[25]。ソクラテス以前の初期ギリシャ哲学では、対象は(現在の意味とは異なっている自然ではあるが)「自然」であった。前5世紀ごろのソクラテス以降になると、哲学の対象はもっぱら自然ではなく、「人間的なこと」になった。人間の魂のよさ、倫理的なことがらになった[26]。ソクラテスは、自然に関する知などは意味がない、と考えた[27]。その弟子のプラトンやアリストテレスになると、人間的なこととともに、自然も対象とし、壮大な体系を樹立した。ヘレニズム・ローマ時代の哲学では、ストア派やエピクロス学派など、「自己の安心立命を求める方法」という身近で実践的な問題が中心となった[28]。ヨーロッパ中世では、哲学の対象は自然でも人間でもなく「神」であった[29]。さらに時代が下り近代になると、人間が中心的になり、自己に自信を持った時代であったので、「人間による認識」(人間は何をどの範囲において認識できるのか)ということの探求が最重要視された[30]。「人間は理性的認識により真理を把握しうる」とする合理論者と、「人間は経験を超えた事柄については認識できない」とする経験論者が対立した[31]。カントはこれら合理論と経験論を総合統一しようとした[32]。19世紀、20世紀ごろのニーチェ、ベルクソン、ディルタイらは、いわゆる「生の哲学」を探求し、「非合理な生」を哲学の対象とした[33]。キルケゴール、ヤスパース、ハイデガー、サルトルらの実存哲学(実存主義)は、「人間がいかに自らの自由により自らの生き方を決断してゆくか」ということを中心的課題に据えた[34]。
このように哲学には決して一定の対象というものは存在しなく、対象によって規定できる学問ではなく、冒頭で述べたように、ただ「philosophy」「愛知の学」とでも呼ぶしかない[35]とされている。
学問としての哲学で扱われる主題には、真理、本質、同一性、普遍性、数学的命題、論理、言語、知識、観念、世界、存在、時間、空間、現象、経験、人間一般、理性、自由、因果性、世界の起源のような根源的な原因、正義、善、美、意識、精神、自我、他我、神、霊魂、などがある。一般に、哲学の主題は抽象度が高い概念であることが多い。
これらの主題について論じられる事柄としては、定義(「神とは何か」)、性質(「理性は人間にとって生与のものか」)、複数の立場・見解の間の整理(「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」)などがある。 これをひとくくりに「存在論」とよぶことがある。地球や人間、物質などが「ある」ということについて考える分野である。
また、「高貴な生き方とは存在するのか、また、あるとしたらそれはどのようなものなのか」「善とは永遠と関連があるものなのか」といった問いの答えを模索する営みとして、旧来の神学や科学的な知識・実験では論理的な解答を得られない問題を扱うものであるとも言える[注 5]。またこのようなテーマは法哲学の現場に即しておらず、真偽が検証不可能であり、実証主義の観点からナンセンスな問いであると考える立場もある(例えば論理実証主義)。 こちらは、ひとくくりに「価値論」とよぶことがある。「よい」ということはどういうことなのか、何がよりよいのかを考える分野である。
このような意味での哲学はより具体的にはとりわけ古代ギリシアのギリシア哲学、中世のスコラ哲学、ヨーロッパの諸哲学(イギリス経験論、ドイツ観念論など)などをひとつの流れとみてそこに含まれる主題、著作、哲学者などを特に研究の対象とする学問とされることも多い(哲学一般から区別する場合にはこれを特に西洋哲学と呼ぶことがある)。
また、諸学問の扱う主題について特にこうした思考を用いて研究する分野は哲学の名を付して呼ぶことが多い。例えば、歴史についてその定義や性質を論じるものは「歴史哲学」と呼ばれ、言語の定義や性質について論じるものは「言語哲学」と呼ばれる。これらは哲学の一分野であると同時にそれら諸学の一部門でもあると考えられることが多い。
哲学ではしばしば多くの「学派」が語られる。これは、通常、特定の哲学者の集団(師弟関係であったり、交流があったりする場合も少なくない)に特徴的な哲学上の立場である。
古代ギリシア哲学、自然哲学、形而上学、実念論、唯名論、大陸合理主義、イギリス経験論、ドイツ観念論、超越論的哲学、思弁哲学、生の哲学、現象学、実存主義、解釈学、新カント派、論理実証主義、構造主義、プラグマティズム、大陸哲学
特定の学者や学者群に限定されない「立場」についても、多くの概念が存在している。頻繁に言及されるものに、存在論、実在論、観念論、決定論、宿命論、機械論、相対主義、二元論、一元論、独我論、懐疑主義などがある。
哲学は様々な形で細分化される。以下に挙げるのはそのなかでも特に広く用いられている分類、専門分野の名称である。
地域による区分
主題による区分(分野)
「イスラム哲学」も参照
古代ギリシャ哲学はイスラム世界に受け継がれ、イスラム世界において、アッバース朝のカリフ、マームーン(786年-833年)は国家的事業として、ギリシャ語文献を翻訳させた。翻訳センター・研究所・天文台である「知恵の館」が設けられた。翻訳の大半は、ヤコブ派、ネストリオス派などの東方キリスト教徒が、シリア語を介して行った。
ギリシャ哲学のアラビア語への翻訳で中心を占めたのは、アリストテレスとその注釈者の著作であった。
ネオプラトニズムについては、プロティノスやプロクロスの原典からの直接の翻訳が行われず、ネオプラトニズムの著作がアリストテレスの著作だとして伝わることになった。
キンディーはイスラーム最初の哲学者と言われる。 イブン=ザカリーヤー・ラージーは、アリストテレスの哲学ではなく、原子論やプラトン主義の影響を受けた珍しい哲学を展開した。 ファーラービーは、神から10の知性(=ヌース)が段階的に流出(放射)すること、そして第10の知性が月下界を司っている能動知性で、そこから人間の知性が流出している、という理論を打ち立てた。政治哲学の分野でも、アリストテレスを採用せず、(ネオプラトニスムでは忘れられていた)プラトン的政治論を採用した。 イブン=シーナー(アヴィセンナ)はイスラーム哲学を完成させたと言われている。
イスラームのイベリア半島(スペイン)においては、イブン=ルシュドが、アリストテレス研究を究め、アリストテレスのほぼ全著作についての注釈書を著した。そしてイブン=シーナーのネオプラトニスムを廃し、純粋なアリストテレス主義に回帰しようとした。
詳細は「哲学史#ヨーロッパ哲学史」を参照
ヨーロッパ哲学の大きな特徴として、「ロゴス(言葉,理性)の運動を極限まで押し進めるという徹底性」[36]があり、古代、近代、現代といった節目を設けて根底的な相違を見出すようなことが比較的容易であると言える。古代、近代、現代といった枠組みの中でも大きく考え方が異なる学者、学派が存在する場合も珍しくない。
インド哲学を参照
哲学の中でもインドを中心に発達した哲学で、特に古代インドを起源にするものをいう。インドでは宗教と哲学の境目がほとんどなく、インド哲学の元になる書物は宗教聖典でもある。インドの宗教にも哲学的でない範囲も広くあるので、インドの宗教が全てインド哲学であるわけではない。
中国哲学を参照
「Category:日本の思想史」および「東洋哲学」も参照
西田幾多郎(1870 - 1945)は、フッサール現象学などの西洋哲学および仏教などの東洋哲学の理解の上に、『善の研究』(1911)を発表、知情意が合一で主客未分である純粋経験の概念を提起した。またその後、場所の論理あるいは無の論理の立場を採用した。彼の哲学は「西田哲学」と呼ばれるようになった。
井筒俊彦(1914 - 1993)は、イスラーム思想を研究し、Sufism and Taoism(1966-67、1983)では、イスラームと老荘の神秘思想を分析し、それらがともに持つ一元的世界観を指摘し、世界的にも高い評価を得た。そして晩年には『意識と本質』(1983)などを著し、東アジア・インド・イスラーム・ユダヤの神秘主義を元に、ひとつの東洋哲学として構造化することを試みた。
[37]「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張である、とする区分である[38]。ソクラテス以来の西欧哲学の流れによれば、知を愛するという議論は、知を構築する方法を論じるという契機を含んでおり、思考をより望ましいものにするための方法の追及こそが哲学である、という主張である。
ところが実際には「よい思考の方法」を見出したとしても、現実に適用するにあたっては「それを用いるべき」と主張の形で表出することになるため、哲学は思想としてしか表現されないことになる。このために思想と哲学の混用は避けられない。
哲学と思想を区分することのメリットは具体的な使用事例で発見することができ、たとえば思想史と哲学史は明らかに異なる。通常は思想家とされない人物でも、その行動や事業を通して社会に影響を与えた場合には思想史の対象となる。これに対して哲学史の対象は哲学者の範囲にとどまり、哲学を最大限に解釈したとしても、政治家や経営者が哲学史で論じられることはない。しかし思想史においては、実務を担当し世界の構造を変えようとした人々は思想史の対象として研究対象になる。
[要出典]思索により独自にある共通の高み(結論の類型)を獲得する哲学は、時代や身分、環境を超越し、普遍性を伴う[注 6]。[要出典]後世の著作物の中に太古の思想との類似性が見つけられる場合、それが先哲の思索を継承したのか、独自の着想によるものかは即断できないが、明らかに以前には無い発想が述べられている場合、しばしばそれが重要な哲学的な独創性(頂点の発見)を意味していることがある。一方で思索は極めて属人的な営みであり、思索家の死や沈黙、著作物の散逸などにより容易に否定され失われてしまうものであるが、弟子達の著作によりその思想が後世にまで残り、多大な影響力を及ぼしているものがある[注 7]。
思索の継承と橋頭堡を打ち立てた先哲に対し敬意を払い続ける態度もまた哲学の顕著な特徴である。[要出典]一方で、異なる学派間の対立は民衆の懐疑と嘲笑的態度、独断の蔓延とそれによる思想の貧困化につなり、戦乱が続いた時代は思想が停滞・後退した。ヨーロッパにおいて教会の権力が頂点に達した頃には、哲学はしばしば神学的な問題に用いられ、近代には先哲の批判的継承のうえに独自の哲学を打ち立てた近代哲学者たちが現れた。
[要出典]哲学は分業化された産業としての側面を有し、個々の専門分野に閉じこもりがちであるが、しばしば、同時代に共有されていた問題意識や偏見の影響が見られる。逆に、哲学者自身が及ぼした影響の痕跡が後世に見られることもある。哲学が専ら同時代の観察と分析に徹しているという意見もある一方で、旺盛な活動によって世に知られた哲学者もいる。
他の学問と哲学を区別する特徴となるような独自の方法論が哲学にあるかどうかというのはなかなか難しい問題である[注 8]。少なくとも近代哲学においてはデカルト以来、疑いうるものを懐疑する態度、できるだけ明晰に思考する態度、事物の本質に迫ろうとする態度が哲学を特徴づけてきたといえるだろう[注 9]。
[要出典]ただ、これだけであれば学問の多くに共通する特徴でもあるし、逆に、理性や常識を信頼するタイプの哲学が哲学でないことになってしまう。分析哲学においては概念分析という道具を手にすることで、自然科学とは異なる独自の思考形態が成立したが、[要出典]これも哲学すべてを特徴づける思考形態であるとは言いがたい。
[要出典]哲学はその黎明期において、科学において大切でかつ難しいといわれる仮説の発明を、重要な形で成してきた[注 10]。ソクラテス以前の哲学者と呼ばれるタレス、アナクシマンドロスといった自然学者はいずれも自然現象の説明を目論んだ。自然科学と哲学は(そもそも19世紀に至るまでは、自然科学を指す言葉として「自然哲学」(natural philosophy)という言葉が使われていたし(例えばニュートンの『プリンキピア』の正式名称は『自然哲学の数学的諸原理』である)伝統的には切れ目のないひとまとまりの領域として扱われてきたが、その中においても今から振り返って、「自然科学的」な部分と「哲学的」な部分を区別することができる。そうした「自然科学的」部分は伝統的に人間の作為を含まない対象(自然)を観察、分類することを主眼としてきた。
また近代に至っては実験という形で積極的に自然に介入することを重視する実験科学が登場しさらに19世紀以降には目に見えるものからその背後の秩序を推測してモデル化するという営みが科学の中心となってきた。
[要出典]例えば、時間について考察する哲学者は同じ問題を扱う物理学者とは違い観察や実験の積み重ねによらず結論を導くことがある。また、哲学者は物理学の成果を参照しそれを手がかりに哲学的思索を行うことはあるが、現代において物理学者が(自然)哲学の成果を積極的に参照することは少ないようである[注 11]。
[要出典]こうした分離や性格の差が生じた理由はいくつか考えられるが、知識の取得法(方法論、データのとり方、理論の当てはめ方、論争の決着のさせ方など)が確立した分野が順次哲学から分離していった結果、哲学はデータのとれないことについて考える領域なのだという了解が後から成立してきたという事情はおそらくあるだろう。
そうしたものの見方から捉えると、先の時間の例について言うなら、われわれの主観的経験や世界を捉えるためのもっとも基本的な形而上学としての時間は未だに物理学はもちろん心理学でもうまくとらえきることのできない対象でありそのために哲学的な時間論の対象となるわけである。
客観的データになじまないもうひとつの領域が規範の領域、つまり「実際にどうであるか」ではなく「どうあるべきか」を論じる文脈である。これもまた自然科学が不得手とする領域である。
哲学も決して自然科学的知見を無視するわけではないので自然科学によってもたらされる新たな発見はしばしば旧来の哲学に重大な脅威を与えてきた。またそもそも古代の哲学者が成した科学的発見が自身の手による実験によって証明されていることがある。
自然科学が自然哲学から分化して以降、とくに近代の哲学者は自然科学者の成果を重視し両者の親和性を失わないよう不断の努力を行ってきたし、また近代においては観察や経験を重要視する哲学者たちが生まれた。また一方で、科学者たち自身が扱わないような非常に基礎的な問題(科学方法論の原理論や科学的実在論といった問題)についてはむしろ哲学者が率先して考察を行ってきた(科学哲学の項参照)。あるいは科学が他の姿をとりうる論理的・現実的可能性を論じることで一度は忘れられた仮説を再発掘する原動力となったり新しい科学理論の形を呈示したりする場合もある。
歴史的に有名な事例としては全ての力が引力と斥力の二つに集約されるというドイツ観念論のテーゼが電力と磁力の統合というエルステッドの発見に結びついたといった例がある。
なお、近年の英米哲学では自然主義という名の下に哲学を自然科学の一部とする動きがある。
伝統的に論理学は哲学の一分野として研究されてきた[注 12]。 論理学は伝統的にわれわれの推論のパターンを抽出することを目的としてきた。特に伝統的な論理学においては、前提が正しければ確実に正しい結論を導くことができる手法としての三段論法が主な研究の対象であった。
推論の厳密さを重視する哲学においては論理学は主要な研究の対象であり政治や弁論術、宗教、数学や科学の諸分野において論理学は重要な研究の対象であり続けた。古代の哲学者たちはしばしば現代でいう論理学者や数学者を兼ねていた[注 13]。
論理学の直接の関心は推論の妥当性や無矛盾性にあり、かならずしも人間や社会や自然の諸事象が考察の焦点にならない(この点で論理学は哲学の他の分野とは性格が異なる)。もし疑いようのない前提から三段論法を用いて人間や社会や自然の諸事象についての結論を導き出すことができるならそれは非常に強力な結論となりうる。哲学者たちが論理学を重視してきたことは当然といえるだろう。
しかし逆にいえば、三段論法の結論の厳密さはあくまで前提の正しさに依拠するものであり前提がとんでもないものであれば結論もとんでもないものが出てしまう。たとえば「すべてのカラスは黒い。この鳥は黒くない、したがってこの鳥はカラスではない」といった推論では最初の前提が間違いで本当は白いカラスもいるような場合、結局あやまった結論にたどりついてしまう(参照:ヘンペルのカラス)。
この問題は重要で、たとえばジョン・スチュアート・ミルは三段論法が内包するこの危うさについて、結論を知っていないならば、大前提の全称判断は得られないのだから、三段論法は一種の循環論証であると批判した。一方彼は帰納法の四大規則をこしらえたが、それらは因果律が仮定される限り有効に用いられるものであり、まったく単純枚挙による機能にもとづいてのみ、容認しうるものであることを白状せねばならなかった。
哲学的論理学においてはしばしば推論規則そのものの哲学的な正当性が問題となってきた。古典論理については排中律の是非が問題となってきたし、帰納論理についてはそもそも帰納論理なるものが成立するのかどうか自体が問題となった。こうした検討は認識論や科学哲学といった他の分野にも大きな影響を与えてきた。20世紀の初頭までには古典論理による推論の限界が明らかにされる一方でその公理系そのものを懐疑する視点から様相論理学、直観論理や矛盾許容論理などの展開も提示されている。
哲学と宗教は共に神の存在に関連している分野である。そのため厳密な区分は難しい。宗教と神学と哲学の境界は必ずしもはっきりしない。ただ、合理的な追求を試みる態度によって異なっている、とする人もいる。
西洋哲学の萌芽ともいえるソクラテス以前の哲学の中には、それまでの迷信を排したものがある。例えばホメロスの詩は、それまでの民衆の狂信的要素を極力退けているものになっていると言われる。この点古代ギリシャ人及びその哲学には二つの傾向が見られた。一つは合理的で冷静、もう一つは迷信的で熱狂的であるというものであり、彼らはその合理性によって多くの迷信を克服したが、恐怖や苦難に見舞われた際に以前の迷信が再び頭をもたげた。
オルフェウスは‘清めの儀式’や天上・地獄の教義について述べていて、後のプラトンやキリスト教に影響を与えた。日本の仏教でも、例えば極楽浄土と地獄に関する教え等を説いている。プラトンは永遠で恒久なる存在について考えたが、彼の場合は少なからず認識といった知的なアプローチを説いた。後世においてライプニッツは、時間の絶対性の観点からして時間の始源より以前に時間を遡ることが論理的に不可能であるとし、その始源に神の座を据えたと言われる。現代では宇宙のビッグバン説や、時間の相対性といった発想が反論として挙げられるだろう[注 14]。
宗教や神の存在に関する知的な理解を求めた人々は、しばしば哲学的な追究をし、逆に信仰生活(実践)に重点を置いた人々は、哲学的に手のこんだ解釈やへ理屈めいた議論を敬遠したといえるだろう。同じ宗教にたずさわりながら、知的に優れ業績を残した人もいれば、実践を重んじ困っている人を助けることを日々実行する人もいれば、迷信的なものにとらわれた人もいた。信仰心のあつい人は、しばしば、哲学をする人の中に、詭弁で他人を議論の袋小路に追い込む酷薄な人を見てとり、哲学者を不信の目で眺めた。ただし、知的なだけでなく、人格的にも傑出した哲学者に限れば、人々の尊敬を広く集めた。
また哲学と宗教との差異として、なにがしか「疑ってみる」態度の有無が挙げられることがある。宗教ごとに性質はことなるのでひとくくりに語ることは難しいが、例えばアブラハムの宗教など)には信仰の遵守を求めるドグマ性がある、時として疑問抜きの盲信を要求しがちな面がある[注 15][注 16]として、比較されることはある。[注 17]
18世紀~19世紀ごろから自然科学が成功を収め神的なものに疑問符が突きつけられるようになったため、唯物論思考など神を介しない考え方も力を得てきている[注 18]
ただし、近代のニヒリズムの哲学の一派は神を否定し、宗教を嘲笑したものの、結局、彼らは英雄崇拝・力への信仰へと傾いた。彼ら(ニヒリスト)の考えの多くは、他者への不信感と憎悪に裏打ちされており、自発的な他者への愛にもとづく相互扶助、という考えを全く欠いているために、本質的にその普遍性に関して重大な欠陥を抱えている[注 19]。
一方、古代から、否定的確証にも肯定的確証にも欠けるとして科学・宗教いずれの見解も留保する不可知論的立場もあり、これは現代でも支持者がいる。
一部の哲学は、理知的な学問以外の領域とも深く関わっている点に特徴がある。古代ギリシャ哲学が詩と分かちがたく結びついていたこと、スコラ哲学や仏教哲学のように、信仰・世界観・生活の具体的な指針と結びついて離れない例があることなどが指摘できる。理性によって物事を問いながらも、言葉を用いつつ、人々の心に響く考えやアイディアを探すという点では文学などの言語芸術や一部の宗教と通じる部分が多い。
哲学者の名言が多いのはそのためでもある。日本では主に文学部の中の「哲学科」で哲学を学ぶが欧米には「哲学部」という学部が存在する。
欧米でも日本でも、女性の哲学者は珍しくはないにしても、まだ圧倒的に少ない[注 20]。著名な女性の哲学者(思想家)としては、ヒルデガルト・フォン・ビンゲン、ローザ・ルクセンブルク、ハンナ・アーレント、シモーヌ・ヴェイユ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、エリザベス・アンスコム、ジュリア・クリステヴァ、ジュディス・バトラーなどが挙げられる。
広義の哲学は思索を経て何かの意見や理解に辿り着く営みでありそのような営みの結果形成されたり選ばれたりした思想、立場、信条を指すこともある。例えば、「子育ての哲学」「会社経営の哲学」などと言う場合、このような意味での哲学を指していることが多い。
また、哲学は個々人が意識的な思索の果てに形成、獲得するものに限定されず、生活習慣、伝統、信仰、神話、伝統芸能や慣用表現、その他の文化的諸要素などと結びついて存在している感受性、価値観、世界観などを指す場合もある。つまり、物事の認識・把握の仕方、概念、あるいは発想の仕方のことである(こうしたものは思想と呼ばれることも多い)。
このような感受性や世界観は必ずしも理論体系として言語によって表現されているわけではないが、体系性を備え、ひとつの立場になっていると考えられることがしばしばある。
古代ギリシャの時代の時代から、フィロソフィアが役に立たないと思う人がいた。アリストテレスはその著『ポリティカ』(政治学) において[39]次のような逸話を提示することで、そうではないと示した。[40]
彼(タレス)は貧乏であった。貧乏であることは哲学が役に立たないことを示すと考えられたので、彼はそのことで非難を受けた。話によれば、彼は星に関する自分の巧妙な知識によって、次にくる年にオリーヴの豊作がある、ということを冬の間に知ることができた。そこで彼は、少しは金をもっていたので、キオスとミレトスにあるすべてのオリーヴ圧搾機使用するための、保証金を支払っておいた。競りあう人が全然いなかったために、彼はわずかの金でそれらの器械を借りたわけだ。収穫時が来て多くの圧搾器が急にそろって必要となると、彼は思いのままの高値でそれを貸し出し、多額の金をつくった。このようにして彼は、哲学者はお望みとあれば容易に金持ちとなることができるが、哲学者の野心はそれ以外にある、ということを世間に示した[注 21]
大学などからの研究費という限られたパイを学者たちが奪い合うという状況もあってか「役に立つ」実学、学問の金儲けへの転用を重んじる現代では「哲学はむしろ根本的な欠陥を抱えている」「非生産的で無価値な学問分野である」、などとしてしばしば厳しい批判にも晒されている[要出典]。学問分野として全面的な否定や揶揄の対象にされることが多い点も哲学ならではの特徴といえる。
ちなみにこの批判の中には哲学者とされる者によって展開されるものも含まれそのような批判が一つの哲学的立場になっている場合もある。
抽象的な概念を巡る定義や論争などは、証拠によって決着を着けたり、万人が合意するような立場に辿りつけたりする可能性が低く(あるいはそのような可能性が皆無で)、結論が出ないままに延々と議論だけが続く、(特に実証主義的な観点から)非生産的な学問であるとの見方もある。現に論理実証主義はそのような真偽の検証ができない命題や議論をナンセンスとして斥け、従来の哲学に対して否定的な立場を取った。神の存在証明を巡る中世のスコラ哲学、実存哲学などは、その典型であったといえよう(もっとも、前者は証明方法の洗練によって、論理学の発展にはかなり貢献した)。
また、大学の哲学教員など現代の職業哲学者の従事する学問としての哲学は理性と言語による思考に特化しており必ずしも詩や宗教などと密接に結びついているわけではない。これに関して理性や言語による思考には限界や欠陥があり、人間の豊かな感性、感情を見落としがちであり哲学は学問分野としてそのような本質的限界、欠陥を抱え込んだ分野であると批判されることもある[41]。
また、理性や言語を重んじる価値観は近代以降の西洋の諸文化に特徴的なものであると見做して攻撃する立場もある。既存の哲学が「西洋哲学」中心であることや、習慣などに埋め込まれて存在していて言語化されたり、理性的な吟味の対象にならない思想を哲学の一種として扱わない傾向にあったりすることなどを、そのような価値観の表れと考え、問題視する立場もある。
1990年代半ばより、ポストモダンやフランス現代思想に分類される一部の哲学者並びに思想家が数学や物理学などの自然科学の理論や用語を、その意味を理解しないままに模倣したり、読者を煙に巻いたりしていることへの批判が起こった。哲学者のこうした欺瞞を批判した最も著名な例としてソーカル事件がある。彼らの論文に用いた数学らしき記号の羅列は数学者でなくとも自然科学の高等教育を受けた者ならそれが出鱈目であることはすぐに見抜けるお粗末なものだったのである。
自然科学以外の日本の学問は単なる翻訳ものと揶揄されることもいささかあるがそのもっとも顕著な分野が哲学であるといえる。
日本においては真に独創的な哲学者・思想家は意図的に無視あるいは軽視される傾向が強く、単に哲学知識を持つだけの学者を哲学者と定義する傾向にあるのが事実である。原因の一つは明治初期に西洋哲学が導入されたとき、西洋哲学の思想があまりにも詰屈な漢熟語で翻訳されてしまったためであるといえる。
先述のように「哲学」という用語そのものがその代表例であった。ドイツにおいては、それらは伝統や日常によって裏付けされたものだったが、日本における哲学は多くの人の日常から懸け離れたものとなってしまう。その傾向はドイツ観念論に対する漢熟語から外来語をそのまま使う英米流の分析哲学、フランス現代思想が主流となった現代でもあまり変わらない。
資質として真に哲学的な性向をもつ者の中にはこういった知識のみの人たちを揶揄して「哲学輸入業者」「哲学学者」などと呼ぶことがある。むろん、中には偉大な哲学者も幾人もおり独自の思想を展開していった西田幾多郎や大森荘蔵、井筒俊彦、廣松渉などはその例であるといえる。
森岡正博によれば、日本の大学や哲学教室、倫理学教室、学会や懸賞論文は制度化されており、本来答えるべき哲学的課題に向き合えていないと批判する。文献学に依拠しすぎており、特定個人の思想におぼれすぎ、著名哲学者の思想に即しすぎており、直面した根本問題を検討することを「次の機会」に先延ばしすることに特徴がある。哲学の<純粋探求>の凄みと快楽は理解するものの、それは本当に向かい合うべき問いから巧妙に逃げているのではないか、と問題提起している[42]。[注 22]
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