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ソクラテス(ソークラテース、Σωκράτης、紀元前469年頃 - 紀元前399年4月27日)は古代ギリシアの哲学者である。 彼自身は著作をおこなわなかったため、その思想は、弟子のプラトンや歴史家のクセノポン、アリストテレスなどの著作を通じて紹介されている。
生涯
生い立ち
父は彫刻家ないし石工のソプロニスコス、母は助産婦のパイナレテとされる。アテナイに生まれ、生涯のほとんどをアテナイに暮らした。彼はスパルタと戦ったペロポネソス戦争の最初の大会戦(デリオンの戦い)では重装歩兵として従軍した。青年期には自然科学に興味を持ったとの説もあるが、晩年は倫理や徳を追求する哲学者としての生活に専念した。
思想形成
プラトンの『ソクラテスの弁明』においてソクラテスが語ったところによると、彼独特の思想・スタイルが形成されるに至った直接のきっかけは、激情的な性格である彼の友人かつ弟子のカイレフォンが、デルポイにあるアポロンの神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」とわざと尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられたことにある。これを聞いて、自分が小事・大事ともに疎い賢明ではない者であると自覚していたソクラテスは驚き、それが何を意味・暗示するのか自問した。さんざん悩んだ挙句、彼はその神託の反証を試みようと考えた。彼は世間で評判の賢者たちに会い、その人々が自分より賢明であることを明らかにして神託を反証するつもりであった。
しかし、実際に自他共に賢者と考えている政治家や詩人などに会って話してみると、彼らは自ら語っていることをよく理解しておらず、そのことを彼らに説明するはめになってしまった。それぞれの技術に熟練した職人達ですら、たしかにその技術については知者ではあるが、そのことを以って他の事柄についても識者であると思い込んでいた。
こうした経験を経て、彼は神託の意味を「知らないことを知っていると思い込んでいる人々よりは、知らないことを知らないと自覚している自分の方が賢く、知恵の上で少しばかり優っている」ことを指しているだと理解するようになり、更には、「神託において神がソクラテスの名を出したのは一例」に過ぎず、その真意は、「人智の価値は僅少もしくは空無に過ぎない」「最大の賢者とは、自分の知恵が実際には無価値であることを自覚する者である」ことを指摘することにあったと解釈するようになる。こうして彼はその「神意」に則り、それを広める「神の助力者」「神への奉仕」として、ソフィスト達のように報酬を受け取るでもなく、家庭のことも省みず、極貧生活も厭わずに歩き廻っては出会った賢者たちの無知を指摘していくことをライフワークとするようになる[1]。
これらの説明をそのまま鵜呑みにするならば、後世への影響のあり方はさておき、知恵の探求者、愛知者としての彼の営みそのものは、その旺盛な知識欲や合理的な思考・態度とは裏腹に、「神々(神託)への素朴な畏敬」と「人智の空虚さの暴露」(悔い改めの奨励)を根底の動機とした、ある面ではナザレのイエスを先取りするかのような屈折したものであり、神託・ソクラテス(無知の知)が勝り続けるのか、それとも彼を上回る知者が現れて神託が反証されるのか、そのせめぎ合いの上に成立していたものであったと言える。
その死
ソクラテスは当時、賢人と呼ばれていた人々や通りすがりの若者を次々にたずね、「アポロンの宣託の通り自分が最も知恵があるのかどうか」を知るために対話をおこなった。しかし、ソクラテスのこの行動は相手の考えを向上させることができる対話であったが、当時の賢人たちは「常識」に執着したため、結局、「知っていると言っていることを、実は知らない(知っていると思い込んでいる)のだ。」ということを暴くことになった。相手は論破され恥をかかされたとしてソクラテスを憎むようになった。更に、暇を持て余した富裕市民の息子達はソクラテスを面白がって追い回し、その試問を傍聴し、その中からは影響されて試問を模倣する者達も現れ、そんな青年達の試問の餌食となった人々もまた、ソクラテスへの憎悪を募らせることとなった[2]。
このため、「アテナイの国家が信じる神々とは異なる神々を信じ、若者を堕落させた」などで公開裁判にかけられることになった。アテナイの500人の市民がソクラテスの罪は死刑に値すると断じた[3]。原告はメレトスという詩人で、政界の有力者アニュトスらの後ろ楯とみられる。しかし、ソクラテスの刑死の後、(ソクラテス自身が最後に予言した通り)アテナイの人々は不当な裁判によってあまりにも偉大な人を殺してしまったと後悔し、告訴人たちを裁判抜きで処刑したという[4]。告訴の背景には上記の他にもペロポネソス戦争とその後の暴政(三十人政権)など複雑な事情があったと考えられる。
ソクラテスは自身の弁明(ソクラテスの弁明)を行い、自説を曲げたり自分の行為を反省したりすることを決してせず、追放の手も拒否し、結果的に死刑を言い渡される。票決は2回行われ、1回目は比較的小差で有罪。刑量の申し出では常識に反する態度がかえって陪審員らの反感を招き大多数で死刑が可決された。
神事の忌みによる猶予の間にクリトン、プラトンらによって逃亡・亡命も勧められ、またソクラテスに同情する者の多かった牢番も彼がいつでも逃げられるよう鉄格子の鍵を開けていたが、ソクラテスはこれを拒否した。当時は死刑を命じられても牢番にわずかな額を握らせるだけで脱獄可能だったが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正をおこなうよりも、死を恐れずに殉ずる道を選んだ。
紀元前399年、ソクラテスは親しい人物と最後の問答を交わして毒ニンジンの杯をあおり、従容として死に臨んだ。この顛末は弟子であるプラトンの著作『ソクラテスの弁明』『クリトン』『パイドン』にくわしく書かれている。
思想
ソクラテスの思想は、内容的にはミレトス学派の自然哲学者たちに見られるような、唯物論的な過激なものではなく、むしろ神々への崇敬と人間の知性の限界(不可知論)を前提とする、極めて伝統的・保守的な部類のものだと言える。にも拘らず、彼が特筆される理由は、「無知の知」を背景とした、「知っていることと知らないこと」「知り得ることと知り得ないこと」の境界を巡る、当時としては異常なまでの探究心・執着心にある。「人間には限界があるが、限界があるなりに知の境界を徹底的に見極め、人間として最大限善く生きようと努める」、そういった彼の姿勢が、(数多くの内容的な欠陥・不備・素朴さにもかかわらず)哲学者の祖の一人としての地位に彼を押し上げることとなった。
彼の弟子達の多種多様な思想展開からもわかるように、着目点によって様々な解釈が可能な、多面的な性格を持ち合わせていた思想家とも言える。
- 無知の知
- ソクラテスはアポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされた。ソクラテスはこれを、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。その結果、彼は知者を僭称する独断論者たちの無知を暴くための論争に明け暮れることになる。
- 彼の「無知の知」を背景とした知・無知に対するこだわり(とその効用)は、『ソクラテスの弁明』の終盤、死刑が確定した後の、死についての自身の見解を聴衆に語るくだりにおいて鮮明かつ象徴的に見て取ることができる。彼はそこで、(後に弟子のプラトンがオルペウス教(ピタゴラス教団)的な輪廻転生説に嵌っていくのとは対照的に)死後のことについては一切わからないという不可知論の立場を採る。しかし、彼は死は自身にとって、禍ではなく、一種の幸福であると言う。なぜなら、死後については二説あって、唯物論者たちの言うように、死が虚無に帰することであり、全ての感覚の消失であるならば、それは人生において他の昼夜より快適だった夢一つ見ない熟睡した夜のごときものであろうし、他方で冥府(ハデス)があるとしたならば、そこで真誠な半神たちによる裁判を受けることができるし、ホメロスやヘシオドスと交わったり、オデュッセウスやシシュフォスと問答することもできる、どちらにしろ幸福である、というわけである[5]。であるがゆえに、死を恐れて不正な裁判に屈することなどなく、善き生を貫徹できるし、善き生を貫徹した者は、死に際しても幸福である。
- このように、死後については「知らない」が、それを自覚しているがゆえに、それについての諸説を冷静に「知る」ことができるし、ひいてはどちらに転んでも自分や善き生を送った者にとって幸福であることも「知る」ことができ、だから死を恐れずに善き生をまっとうできる、対照的に、知に対する節度をわきまえない独断論者たちは、どこかでつまづき、知りもしないことに踊らされ、翻弄され、そうはならない、といった具合に、「善き生」と「無知の知」はひとつの円環を成し、「無知の知」は「善き生」にとっての必須条件となっている。
- また一般に、ソクラテスは対話を通じて相手の持つ考え方に疑問を投げかける問答法により哲学を展開する。その方法は自分ではなく相手が知識を作り出すことを助けるということで「産婆術(助産術)」と呼ばれている。ソクラテスのもちいた問答法は、相手の矛盾や行き詰まりを自覚させて、相手自身で真理を発見させた。こうして知者と自認する者の無知を晒させた。こういった、意図を隠したとぼけた態度は、エイロネイア(イロニー)と呼ばれる。
- (ちなみに、刑事コロンボなど、とぼけた態度で犯人の主張を矛盾に追い込んでいく刑事もの等の元々のモデルは、ここに帰することができる。)
- 抽象概念の明確化
- プラトンが描くソクラテス像に則るならば、ソクラテスの業績・営みの特徴は、人生や社会に関わる抽象概念や曖昧な事柄を明確化しようとしたことにあると言える。ポリスの自由市民達が尊ぶ徳・正義・善・敬虔・節制(分別)・勇気・・・とは一体何なのか、あるいは、それを教えると称するソフィスト達、彼らが駆使する社会操縦術(説得術)である弁論術(レトリケー)等は、一体何であるのか、そういった曖昧なまま放置されている物事を、再度入念に吟味・検証することを彼は要求する。そして、そのためには、一方通行のまま疑問に答えてくれない弁論や書物では役に立たず、しっかりと質疑応答を経て合意を重ねていける問答が必要になる。
- なお、話をわかりやすくするために、そういった抽象概念や曖昧な事柄を、具体的・実用的な事柄に置き換えつつ問うのも、彼の特徴の一つだと言える。例えば、「医者は医術を教え、彫刻家は~、建築家は~、大工は~、鍛冶屋は~、靴屋は~、ではソフィストは何を教えるのか?」などが典型である。また、抽象概念同士の関係性や数、一致性・不一致性、範疇・所属なども執拗に問うていく。こういった飽くなき概念の明晰化の追求(の果ての無知の暴き出し)、これが彼の考えた愛知(哲学)の営みだと推察できる。
- こういった一見現実社会に直接役立ちそうもない重箱の隅をつつくような思索を、青年期を過ぎてなお延々と続ける「子供じみた」営みは、目の前の社会運営を優先する穏健で「大人な」人々や、弱肉強食な自然観・社会観を持っている「諦念的な」人々を苛立たせる。そして、『ゴルギアス』に登場するカルリクレスや、『国家』に登場するトラシュマコスなどのように、公然とソクラテスを非難する人々も出てくることになる。しかしながら、そうしてソクラテスを非難する人々が拠って立っている考えの曖昧さですら、ソクラテスにとっては明確化の対象であり、そういった人々もまた、格好のカモとして、ソクラテスの明確化の渦の中に巻き込まれていくことになる。
- こうして、ターレスなどミレトス学派(イオニア学派)に始まる自然哲学とは対照的な、人間・社会にまつわる概念を執拗に吟味・探求する哲学がソクラテスによって開始され、後にその弟子であるプラトン、更にその弟子であるアリストテレスが、(ピタゴラス教団やエレア派の影響を受けつつ)形而上学をそこに持ち込むことによって、その両者(「自然」と「人間・社会」)のあり方の説明を、包括的に一つの枠組みに統合・合理化したという見解が、一般的に広く受け入れられている。
- アレテー(徳/卓越性/有能性/優秀性)
- 彼の最も重視した概念はよい生き方としてのアレテー(αρετη、徳)である。人間のアレテ-は魂をよりよくすることであり、刑罰もそのために有効だとする。また、アレテーを実践する者の人生は幸福であるとも主張した。しかし、これはプラトンの考えという説もある。なぜなら、ソクラテスは著書を残していないからである。
- プラトンの対話篇においては、ソクラテス(と、その対話者)が「徳は知識(知恵)である」(=教授することができる、徳・正しいもの・善なるものは詰まるところ快をもたらすものである、知識は善・快を増大させ悪・苦痛を回避させる、悪・苦痛は無知から生じる、それらを計量する(見極める)技術で以てより高めていくことができる等)という主張と、「徳は教授することができない」(=知識以外の何ものか、言葉では特定しきれない等)という相反する考えの中で板挟みとなって行き詰る姿が繰り返し描かれる。
- (初期末の『メノン』の頃から顕著になってくるプラトン自身の思想は、この矛盾を克服し、合理化すべく醸成された。彼は「オルペウス教(ピタゴラス教団)的な宗教観」「イデア概念」「想起説」の導入・統合による、アリストテレスの形而上学の原型となる物語(かつて天上界で神々と共にあり、真実在(イデア)を観照していた魂が地上に堕ちて来て輪廻転生を繰り返している。それ故、地上で、かつて天上界で観た真実在(イデア)の「似姿」に魂は記憶を呼び起こされ、引き付けられる。魂は一早い輪廻転生からの解脱と天上界への帰還のため、それを追い求め続ける。【知・真実に対するエロース(愛・恋)→愛知】)の確立と、ディアレクティケー(問答法/弁証術)の精緻化により、この行き詰まりを乗り越えようとしている。徳(善き生)の源泉がイデア・天上界・神的なものにあるという点では、もはやそれは人間が教授し得るようなものではなく、人間にできるのは、魂に従い、その記憶を呼び起こそうとする、近づこうとすることだけであり、そのための手助けとして、教授しうる弁証法などの技術が存在することになる。
- このプラトンの発想に至っては、もはや徳(善き生)は、現実の人生をよいものにするという観点から逸脱し、不滅の魂を前提とし、来世以降や解脱にその効用を見い出すという極めて宗教がかったものになってしまっている。)
- (それ以外の弟子たちも、様々にソクラテスの言う徳(善き生)を解釈し、探求・実践することになるが、プラトンのように形而上的な物語に走ってしまうことはほとんどなく、現実世界に根ざした探求・実践に留まっている。主なものとしては、キュニコス派(犬儒学派)のように禁欲に走る(=世俗的・常識的な快に惑わされないことを志向する)ものや、キュレネ派のように懐疑主義・不可知論的な態度で、身体的・短絡的な、より強い快楽を志向するものなどがある。)
- 社会契約論
- 『ソクラテスの弁明』の続編である『クリトン』において、死刑を待ち、拘留されているソクラテスに逃亡を促しに来た弟子のクリトンに対して、彼は「国家」「国法」という架空の対話者を持ち出し、「我々の庇護の下でおまえの父母が結婚し、おまえが生まれ、扶養され、教育された。祖国とは、父母や祖先よりも貴く、畏怖され、神聖なものである。また、この国家(アテナイ) が気に入らなければ、いつでも財産を持って外国や植民地に移住することが認められているのにもかかわらず、おまえは70歳の老人になるまで、ここに留まり、家庭をもうけ、ほとんど外国に行くことすらなかった。したがって、我々とおまえの間には合意と契約が成立しているのにもかかわらず、今さらそれを一方的に破棄して、逃亡を企てようというのか?そのような不正が許されるのか?」と彼自身を非難させ、クリトンに逃亡の説得を諦めさせた[6]。
- これは、中世・近代に様々に展開していくことになる社会契約論の原型とも言える。彼の弟子であるプラトンや、その弟子であるアリストテレスも、徳の概念と関連させつつ、様々な国家論を論じていくことになる。
- 自立(自律)
- ソクラテスは、徳(善き生)などについての考えの形成(魂の世話)を、ソフィストのような他者の手に納得しないまま安易に委ねることを嫌った。そして、自身の考え(ダイモーンの声)に従い、おかしいと思うことは相手が誰であろうと忌憚無く問い、正しいと思うことは誰に反対されようとも実践すべきであることを身を以て示した。その結果、彼は自ら死刑を受け入れることになる。
著作をおこなわなかった理由
ソクラテスは書記言語の野放し状態の普及を激しく非難していた[7]。
ソクラテスは、話し言葉つまり「生きている言葉」は、書き留められた言葉の「死んだ会話」とは違って、意味、音、旋律、強勢、抑揚およびリズムに満ちた、吟味と対話によって1枚ずつ皮をはぐように明らかにしていくことのできる動的実体であると考えた。書き留められた言葉は反論を許さず、柔軟性に欠けた沈黙であったので、ソクラテスが教育の核心と考えていた対話のプロセスにはそぐわなかったのである[8]。
ソクラテスは書き言葉が記憶を破壊すると考えた。個人的知識の基盤を形成するにふさわしい厳密さを期待できるのは暗記するという非常な努力を要するプロセスのみであり、そうして形成した知識基盤は教師との対話の中で磨いていくことができるという信念を抱いていたからである[9]。
ソクラテスは読字を恐れていたわけではないが、過剰な知識が必然的にもたらす結果、表面的な理解しかできないことを恐れていた[10]。
ソクラテス問題
ソクラテスは自説を著作として残さなかったため、今日ではその生涯・思想共に他の著作家の作品を通してうかがい知ることができるのみである。これは「ソクラテス問題」として知られる一連の問題を発生させている。
同時代の作家の内、劇作家・詩人のアリストパネスは戯曲『雲』においてギリシャのソフィストたちを揶揄し、その筆頭としてソクラテスを挙げている。ここではソクラテスの言動は揶揄のために誇張されていると考えられる[11]。
ソクラテスの弟子の一人とされるクセノポンは『ソクラテスの思い出』などソクラテスに関する文章を記しており、今日まで比較的よく保存されている。ただし、クセノポンの描くソクラテスは通俗的で哲学者としての力量をとらえきれていないとの理解が一般的である。
同じくソクラテスの弟子であるプラトンの記した一連の対話篇にはソクラテスが頻繁に登場する。しかしながら、特に『メノン』以降のソクラテスはプラトンの思想を表現するための人物として利用されている感がある(ただし、前期対話篇についてはその限りではない)。
他の弟子による文章の一部やプラトンの弟子にあたるアリストテレスによる記述をはじめ、後世の著作家による記述も残っている。
弟子
など
名言
「クサンティッペ」も参照
ソクラテス自身はかなりの恐妻家で、妻のクサンティッペに「何が哲学だ!?屁理屈ばかり重ねずに仕事をしろ」と言われるなど頭が上がらなかった。そんな中、ソクラテスは結婚について悩んでいる人間に向かい、「結婚してもしなくても、どのみち君は後悔することになる」といった。
脚注
- ^ 『ソクラテスの弁明/クリトン』 プラトン著/久保勉訳 岩波文庫 (五)-(九) p21-28
- ^ 『ソクラテスの弁明/クリトン』 プラトン著/久保勉訳 岩波文庫 p28-29
- ^ 『プルーストとイカ』 111頁。
- ^ ディオドロス, XIV. 37
- ^ 『ソクラテスの弁明/クリトン』 プラトン著/久保勉訳 岩波文庫 (三十二) p66-68
- ^ 『ソクラテスの弁明/クリトン』 プラトン著/久保勉訳 岩波文庫 p91-102
- ^ 『プルーストとイカ』 110頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 114頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 117頁。
- ^ 『プルーストとイカ』 120頁。
- ^ 同時にそれがまったくのでっちあげであれば揶揄としての効果を持たないことから、何らかの真実を含んでいるとも考えられる。
関連項目
参考文献